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廃れゆく部屋

皆さん、廃でお会いしましょう


In 11 2013

Category: 廃れゆく施設   Tags: ---

古ぼけた繊維工場の過去

田園風景の広がる兵庫県の道を走っていると、突然雰囲気のある木造建築が現れる。

周りに家はなく建物のすぐ裏は川が流れている。



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薄いピンクの外壁に蔦が絡まる姿はまるで、ここだけ時間が取り残されたよう。

門柱には看板が掲げられいるが文字は全く読み取れないほど薄れている。

事前に頂いた情報では繊維工場とのこと。

お邪魔させていただこうと裏手に回ると、「ヒューン・・・ヒューン・・・」と音が聞こえてきた。

原因が判らず気味が悪かったのだけど、とりあえず中に入った。



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ここは工場の事務室か休憩室だったみたいだ。



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タイムカードレコーダーがあった。

従業員は何名くらいいたのだろうか。



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前もって聞いていたのだけど工場内にはあまり残留物はなかった。

今まで何件か繊維工場(廃墟の)をみてきたけど一番古いように見えた。



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探索中にも先ほど聞こえた「ヒューン・・・ヒューン・・・」という音が時々聞こえてきて少し気になった。

でも耳を澄ましてもどこから聞こえてくるのか判らずに無視した。



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トイレは恐らく当時のもの。

まるで木造校舎のトイレのような仕様だ。

僕はこの物件の外観をネット上で観たとき、元々は「木造校舎か診療所」だと思っていた。

ただ、木造校舎にしては運動場が狭すぎるし石碑もない。




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それにしてもこれだけの広い部屋を中間に柱を立てずに屋根を支えているなんて凄いなとちょっと思った。

床や天井、壁に至るまでほとんど歪みがなかった。




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機械の電源ユニットか何かが天井からぶら下がっていた。

また「ヒューン・・・」が聞こえてきた。一体何なんだ。



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完成品などを入れるための容器か。

ちょっとアンティークっぽくていいな。

ソファーの横に置いて雑誌とかを入れたい(ソファー持ってないけど)。



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正面玄関入り口。

絶対外からは開かないように板が置いてある。



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お風呂もあった。浴槽はいかにも当時のものとは違い後付け感がある。

約20年以上前にこの工場は閉鎖されたと聞いたけど現役当時は宿直した人もいたのだろうか。



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これは・・・繊維工場の現役時代に宿直室だった部屋なのか。

かなり陰湿な和室だった。

そして忘れたころにまた「ヒューン・・・」が聞こえてくる。




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壁には繊維工場だった事実を知らせる用紙が。

テビロンとはポリ塩化ビニルのことだそう。



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あとで判ったことだけどこの工場は繊維工場でも特殊な漁業用の網を作る会社だった。

昭和30年代くらいにこの物件を買収し繊維工場としたそうな。



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それではもともとこの洒落乙な建物は何だったのか。

ご近所さんに聞き込みを開始すると思いがけない返答が返ってきた。

結果から言うとやはりもともと診療所だった。

しかし普通の診療所とは違った。

いわゆる「避病院」だった。


避病院とはつまり赤痢や腸チフス、結核などの伝染病患者だけを集める隔離病舎のことらしい。

恥ずかしながら僕は地元の方からその呼称を初めて聞いた。

地元の方から「もっと深く知るためには公民館に行くといい」と言われ、さっそく近くの公民館に。

そこである写真を見させていただいた。




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これはまさしくあの繊維工場の向かって右側のポーチ付近だった。

古写真の中には総勢11人の紳士が写っていて、村長などの村の重役や医者が写っているのだろう。

軍人のような人も見える。

写真のタイトルには「○○診療所・県巡回医師記念(昭和9年)」とある。

この避病院には決まった医師がいるわけではなく、様々な医師が巡回して診ていたそう。

建てられた年月は不明だがおそらく大正末~昭和初めだろう。


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古写真と同じ場所を80年近く経過した今、撮ってみる。

窓や戸はほとんど当時のままだった。

あの広い工場だった場所にはたくさんのベッドが並んでいたのだろう。


近所に家が建てられなかった理由も今はなんとなくわかる。



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明治から昭和初期にかけて有効な治療法や薬がない時代、避病院への入院はすなわち死だった。

家族の中に伝染病患者が出ると家の戸を外して患者を乗せ皆で避病院へ運ぶ。

様々な感染症で苦しむ人々の中でその病は決して改善されることなく、ただ衰弱の一途をたどる。

根も葉もない噂を信じ、空気感染を恐れた住民たちが鼻と口をハンカチで押えながら病院前の道を足早に通って行く。

伝染病で亡くなった遺体はさらなる感染を防ぐために直後に焼かれ、遺灰として家族に返還される。

当時あまりにも多くの患者が火葬されたため、最初から火葬場の近くに避病院を作ることも多かったそうな。


普通、このような施設は治療法が確立し必要がなくなった場合すぐに解体される。

事実、全国でも避病院だった建物が残っているということは非常に稀だった。

しかし、とある繊維会社が買い取ったおかげでこの建物に出会うことができた。

そして現在、医学の進歩によって赤痢や腸チフスなどで亡くなる方もほとんどいなくなった。



不明だったパズルのピースが揃った感じがしてスッキリした僕は次の物件に向かうべく車に乗り込む。





そういえば探索中ずっと聞こえていたあの「ヒューン・・・ヒューン」という謎の音。

撮影が終わって建物から出た裏庭で原因が判明した。





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患者も工員もいなくなったこの建物で、その小さな住民は泣きながら母親を探していた。





なき声の ぬしは変わりし ひびょういん
 






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11 02 ,2013 Edit


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