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廃れゆく部屋

皆さん、廃でお会いしましょう


In 11 2014

Category: 廃れゆく建物   Tags: ---

悲しき廃寺

風立ちぬ~ 今は秋~

今日から私は~心の旅人~



・・・別に聖子ちゃんのファンでもないけど、僕も心の旅人になるべく行ってきました。


中国地方のとある山道。

緩い坂道を下っていると、突然現れる異様な建物。



あれは何だ。

何だあれは。



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屋根に隕石でも落ちたのかと疑うほどの大穴があいている。

もちろん近づいてみる。




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まるで黒澤明監督の映画「羅生門(原作は芥川龍之介)」のポスターに出てくる門そのもの。

いそいそと三脚を取り出しカメラをセットする。

周りにはひと気も民家も無いので焦る必要はないのだけど三脚の脚を伸ばす動作すらもどかしい。




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鐘がまだ残っている。

上部の壁にはもともとは白い漆喰が塗られていたのだろうけど、現在は木舞竹に少しの土を残すのみとなっている。

歴史のあるお寺だったのだろうか。



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このお寺の前方に張り出した部分を「向拝(こうはい、ごはい)」と言うらしい。

この向拝の柱や屋根は木組みで建てられているのだけど老朽化のため幾つか木組みが外れていた。

そのため傾きいつ倒れてもおかしくない状況だった。



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真正面からだと床がほとんど抜けているため向かって左手の縁側から本堂に近づく。

ちなみに正面のドアは便所だ。

この便所のドアは怖くて開けられんかったんよ。

じゃけぇ中は見とらんのんよ。




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期待していた御本尊は無かった(当たり前か)。

調べてみると中央の仏壇を「須弥壇(しゅみだん)」といい、左右一つずつある仏壇は「脇壇(わきだん)と言うらしい。

しかしそれは宗派などにもよっても色々言い方があるんだそうな。

因みにこのお寺は浄土真宗本願寺派のお寺だったので調べてみると御本尊は「阿弥陀如来」。

向かって左脇が「蓮如上人」、右脇が「親鸞聖人」だそうな。

三体揃ったところが見たかった。




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放置されて幾年か経っているにも関わらず仏壇の金箔は輝きを失っていない。

この古ぼけた暗い本堂の中で異様なほど光っている。

見ての通り、造りはとても精巧で入念。


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脇壇のさらに脇の方には仏具のようなものが置いてあった。

燭台以外は何に使うのか、わしには判らない。



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須弥壇の裏には古い燭台があった。

腐ったような色をした蝋燭がいい味だしてた。





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本堂の中でも御本尊などが設置されている奥の部分を内陣と呼び門徒などが座ってお経を聞くところを外陣と呼ぶそうな。

この画像は屋根の瓦が落ち、それが腐った床板を破壊してしまった外陣の部分。





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カレンダーは2003年、たった10年ちょっとでこうなっちゃうんだなぁ。

やっぱ建物は屋根が大事だなぁと廃墟探索をするたびに思う。



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何故このお寺が長い間放置されているのか、それは探索中に現れた一人のおっさんによって明らかにされた。

このおっさんは廃寺を撮影している僕(こちらもおっさん)を見つけるやいなや、車を停めてニヤニヤしながら近づいてきた。

おっさんは70代で地元の人だった。

ちょうど良いのでこのお寺が廃墟になった経緯などを訊くことにした。




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このお寺が建てられた正確な時期は判らないのだけど彼が生まれたときにはすでにあったらしいので少なくとも80年以上前に建てられたものらしい。

このお寺の御住職はTさんという方で背が高く優しい人だった。

いつも28インチ(だったかな)の自転車で山道を走ってた。




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その地元の人は時々この御住職からお野菜を頂いていたそうな。

僕は勝手にその御住職を、「笠智衆のような人」とイメージすることにした。

関係ないけど笠智衆さんは本当に良い役者だったんだよ。

マジで関係ないけど。




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その御住職が住んでいた住居が本堂の隣に建てられている。

木造の古いニ階建で普通の一軒家という感じだ。




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玄関に入ると目の前に本棚が置いてありその隣に印鑑が入った小引出しがあった。

この印鑑のいくつかは木製の手彫りの印鑑だった。

右の箱にある「ナンバーリング」という、ダイヤル部分を回転させ数字を合わせるタイプのゴム印。

その数字はアラビア数字ではなくなんと漢数字だった。

つまり「壱、貳、参・・」というような具合で僕は初めて見た。




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玄関から奥に進むと6畳ほどの部屋がありその奥に台所がある。

しかし見ての通り屋根が抜けている。

しかもどうやらニ階に上がる階段も落ちているらしいので断念した。





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ニ階を諦めて玄関すぐとなりの部屋の鴨居を見ると、この廃寺が健在だった頃の写真が。

まだ屋根が綺麗な状態で草木も手入れが行き届いている。

昭和40年代頃のものだろうか。



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住居部分の和室と本堂は渡り廊下でつながっている。

どうやらこれはこの寺だけということではなく仏教のほとんどの宗派は本堂と居住を渡り廊下でつなげるようになっているらしい。




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向拝の上部には「象」を形とった彫り物がついている。

写真の彫り物は向拝に付いていたのものが朽ちて落っこちてきたらしい。

浄土真宗本願寺派の仏典では「白い象がマーヤー(摩耶)という娘の右脇に入りそしてお釈迦様を懐妊した」という教えになっているからだそうだ。


さてそろそろ次の物件に行くべく廃寺に別れを告げる。

地元の人の話では、昔はこの寺には沢山の人が集まりお祭りをしたりカラオケ大会をしたこともあったのだそうだ。

昔から「医者、住職、校長」は町民村民に大変な尊敬をうけていた。

実際、この寺の御住職は素晴らしい人格者だったようだ。

ただ、彼にとって残念なことに子供を授かることがなかった。

ゆえに跡取りもおらず、御住職のT氏が亡くなられてからこの寺は荒れるにまかされた。

正直に言えばこの物件を発見した時、僕は驚きや喜びで終始浮かれていたと思う。

しかし例えば故郷の商店街が廃れているのを見るとなんとも言えない寂しさがある。

それに似た、いやそれ以上の悲しさが後になってチクチクとやってきた。



もうすぐ全ての思い出をのみ込んだままこの廃寺に終わりが来る。

さようなら、悲しき廃寺。







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11 07 ,2014 Edit


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