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01

廃れゆく部屋

皆さん、廃でお会いしましょう


In 01 2015

Category: 未分類(カメラなど)   Tags: ---

散際医院







その日師匠から情報をいただき、明治時代から続いた医院を撮りに出かけた(師匠いつもスミマセン!)。



それは広島県の長閑な田園風景が広がる地域に残っている。




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伝統的な日本家屋の様式。正面に平屋の建物が建て増しされているがそれが医院の部分だ。

母屋は大正末か昭和初期に建て替えられたのだと思うが確証はない。

経年劣化で屋根が落ち、いつ解体されてもおかしくない状態だ。

平屋の医院は木造モルタルで母屋と比較すると時代が若い。




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玄関入り口には例のプレートが。しかもこのプレートは若干古いタイプの物だ。

おそらく昔は半壊しているこの母屋のほうに、医院としての機能が備わっていたのではないかと思う。



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なぜなら入ってすぐ左の壁に、薬渡し口を見つけたからだ。

はっきりとは判らんのじゃけどこの薬渡し口がその時の名残りじゃないかと。



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反対に玄関右手にはレントゲン室がある。

あると言っても後から据え付けられたもので合板で無理やり壁を作って狭い部屋にしたみたいだ。





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いつ頃から無人になったのかは判らない。

ただ、黒電話があるかと思えば右上部の壁には有線放送?か何かの比較的新しい機器が見える。

よう判らん。




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母屋の6畳ほどの和室は屋根が抜けてしまったせいで完全に終わっている。

かなり危険な探索になりそうだが意を決してニ階に上がってみる。



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階段を登りきってみると・・・ああっ、これは懐かしいアイテムだ。

小学生のころ住んでいた家の台所の入り口にあったっけ。

玉暖簾(たまのれん)、数珠暖簾(じゅずのれん)と呼ぶらしく最近では全く見なくなった。




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ニ階の部屋は色んなものが散乱していた。

医学書なども見える。




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かなり古い医学書だ。眼科についてのものらしい。

画像でも見つけることが出来るけど、この書物に使われている「四密迷」という単位はどうやら4ミリメートルということらしい。
実際に明治18年に書かれた別の医学書の中で同じ「密迷」という長さの単位を使っていることが判った。
しかしネットには明治になってからミリメートルは「粍」という漢字が使われていたとも書いてあった。

詳しく調べてみたけど結局確信には至らなかった。

こんな、今となってはどうでもいいことをニヤニヤしながら調べている僕は本当に根暗な人間だなと思う。



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肉弾三勇士の絵葉書を発見。これは珍しいな。

ここで書くとまた長くなるので興味ある方はウィキで。





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どえらいこっちゃでこれは。

今までよく放置されていたなと思う。

ここまで崩壊するまでにはかなりの時間がかかったはずだ。




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さて、いよいよ離れにある医院の建物に入る。

そういえば最近師匠から聞いた話だと、現在はさらに崩壊が進み医院の建物には入れなくなっているという。

この15畳ほどの広さの部屋で、診察、処置、調剤などが行われていたらしい。

残留物を見て判る通り、まったく片付けられていない。

すべて閉院した時のままのようだ。





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机の上には処置をするための器具や薬瓶などが置いてある。

そういえば、この医院の歴史についてまだ書いていなかった。

実はこの医院のそばに石碑が建っている。

その石碑は地元有志によって建てられ、この医院が建てられた経緯や先生への感謝が記されていた。

それによると無医村だったこの地域に、村人からの要請により医師が住むようになったのが明治時代の話。

以来その医師の家族は明治大正昭和と三代にわたりこの地域の医療を担ってきた。




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この医家は地域の教育や人材育成にも携わり、その人望はとても厚かった。





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その石碑に掘られた地元有志の感謝の想いをここで一部だけ紹介したい。



「歴代一貫して温かく慈愛をこめて脈をお取りくださった諸先生に対する地域住民の感謝と

敬慕の念はまことに筆舌に尽くし難い。よってここに地域住民は相議り○○医院の功徳を永遠に顕彰し

感謝の至情を捧げるためこの頌徳碑を建立する」



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親子三代によって続き、地域に愛されてきたこの医院だったが

残念なことに三代目の医師が短命であったらしく惜しまれつつ閉院となった。




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「医は仁術なり」という言葉を実践するのに田舎も都会も無い。

ここには確かに地域住民から愛された医院、いや、「お医者様」が存在した。



経年劣化により建物の寿命はまさに「散際」。

その一瞬に立ち会えたことに感謝したい。

その一瞬のために僕は廃墟に行っとんじゃと思う。



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木々に囲まれたこの医院に別れを告げて、車に乗り込んだ。

帰りがけにもう一度車の窓からあの石碑の文言を読み返してみる。

サイドミラーに映る医院が小さくなって、いつか見えなくなった。





さよなら、散際医院。







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01 14 ,2015 Edit


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