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廃れゆく部屋

皆さん、廃でお会いしましょう


In 03 2018

Category: 廃れゆく校舎   Tags: ---

真澄の空の学校




寒波が過ぎ去ったある日の休日、ずっと気になっていた廃校に向けて車を走らせた。

雪深い地域で冬用タイヤを履いているとはいえ、運転にはかなり気を遣った。

ネットに出ている物件だし、木造モルタルなのだけども廃校ファンとしては「行かねばなるまい」という不思議な使命感もあった。

行っておかないといつの間にか更地になっていて、アッと驚く為五郎なんだよな。





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古い木造校舎からこの校舎に建て替えられたのは昭和30年頃。

ハチの巣が見えるが、これは帰る時に気付いた(・´з`・)

真冬だから刺さないと思うけど。





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鍵のかかっていない窓があったので必死によじ登り、軽やかに凸。

しかし入り口の引き戸に手をかけると、最初から開いていたのだった(廃墟あるある)。

静まり返った校舎の中。

古い木材と埃の混ざった匂いがする。

ああ、なんていい匂い。




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こじんまりとした教室。

昭和20年には6学年で78名の生徒が通っていたこともあったが、昭和50年代の閉校時には12人ほどになったとか。




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全校生徒78名は決して多い数ではない。

でもその地域を見た僕にとって、当時そんなに子供たちがいたなんて信じられなかった。




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やっぱりというか当然の複式学級。





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でも意外と教室数は多い。

2階も合わせると5つの教室があるが、理科室として使っていた部屋もあったのかもしれない。





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生徒数が少ないながらも部活動や「○○係」みたいなのもあったのだろう。

ちなみに僕は小学生のとき、「安全衛生委員」で校庭にあった遊具で危険なことをしている子をひたすら注意するという、

とても大切だけど嫌われる係をしていた。

道路の工事現場で交通整理をしているガードマンが短気な運転手に怒鳴られているのを見ると、

大切なことをしているのに嫌われることも世の中には多いのだなと思う。

余談だった。






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これはちょっと珍しい、「室内に手洗い場がある教室」。

しかも床下収納がある。

あとで開けてみようと思っていたのに忘れて帰ってしまった。

開けられた方、あとでこっそり教えて下さい。






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まだしっかりとした階段を上って二階へ。

雨漏りはおそらくなかったと思う。

現在はそこまで積極的に管理されているとは思えないけど、まだまだ丈夫な印象を受けた。






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古い校舎で時々見かける謎の小部屋。

大体階段を上った所にあるのだけど、なんの目的があるのかようわからん。







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放送室か、資料室か。

おそらくは前者。

根拠としては弱いかも知れんけど、天井に使われているのが吸音効果のある穴あき石膏ボードだから。



寒々しい景色。

僕の足音以外何も聞こえない。







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二階の教室は二つ。

まずは手前から。





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地元?のやんちゃキッズたちが目いっぱいの自己表現をしていた。

しかし落書きが黒板の枠から絶対に「はみ出していない」のを見ると、彼らの心の根底には

秩序と理性が混然と存在しているのだと感じたり感じなかったり。







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運動会とかで使用したらしい拡声器などが置いてある。

左端はラジオか?






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二階一番奥の部屋は「理科室」だったのか「音楽室」だったのか、それともその両方の多目的教室だったのか。

楽器もあれば、実験用具を収納するための棚もあった。

広さは他の部屋と比べて幾分広い様だ。







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さて、あらかた見たようなので別棟の給食室と体育館を見るべく外に出た。

するとグラウンドの雪に何かしら通った跡が。

学校に入る前には無かったはずの跡に一瞬凍り付いてしまった(雪だけに)






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耳をすませど何も聞こえないので、イタチか猫だろうと思って炊事場(給食室)に向かう。





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どうやらこの給食室も学校の改築時と同時に建てられたものらしく、ガスではなく「かまど」炊きだったようだ。

今の様にスイッチもタイマーもなく、経験と知識だけを頼りにお米を炊いてたんだね。







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隣の山の木が倒れてガラスを突き破ってしまっている。

校舎はともかくとして、給食室はもう放置かもしれない。







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お次は体育館。

この体育館も校舎と同時期に建てられたらしい。





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黒板のデザインがやや校舎の建てられた時代よりも古いような気がする。

ひょっとしたら旧校舎時代から引き継いだ物かもしれない。

舞台袖の壁には校歌が貼ってあった。





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とても立派な体育館。

床板の歪みもなくまだまだ使えそう。

写真が傾いているのは建物が傾いているわけではなく、僕が写真を撮る時に横着をするからだ。

ま、あくまで記録用ということで。





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学校を出て、当時子どもたちが下校した一本道を歩いてみる。

その時、学校近くの山のふもとに例の足跡の犯人たちがお別れにやってきた。






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僕は少しの間、あっけにとられてしまった。

野生の鹿をこんなに近くで見たのは初めてかもしれない。

あまり人を恐れていないようだった。

ご近所の方と話をした時に、鹿はそこらじゅうにいるよと言っていた。



そのご近所の方から貴重な資料を拝見させていただいた。

この小学校が統合のために廃校になるにあたって、記念の冊子が作られたとのこと。

本当にありがとうございました。




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この小学校は6学年に分かれていた時代は一度もなく、明治26年から昭和20年までの間ずっと一学年、つまり単級時代が続いた。




明治5年に文部省より「学制」、いわゆる近代的学校制度の導入と同時に「被仰出書(おおせいだされしょ)」が制定された。

これは「人たるものは、学ばずんばあるべからず」と教育の重要性を説き、

「幼童の子弟は男女の別なく小学に従事せしめざるものは其父兄の越度たるべき事 

(子どもは男の子も女の子も小学校に行くべきで、小学校で学ばせないのは父兄の手落ちだよ)」と教育の義務を説き、

さらに「邑(むら)に不学の戸なく、家に不学の人なからしめんことを期す」との方針を示した。



いまでは当たり前の小学校教育は、当時当たり前ではなかった。


実際に僕が良く知っている大正生まれの女性は、子供のころは家事を手伝い、物心がつくと履物問屋に奉公に出された。

結局、読み書きを教わったのは奉公先で知り合った結婚相手からだった。





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話を戻すけど、この集落に小学校ができたのは学制が布かれてから21年後の明治26年5月だった。

その間の教育は、三つの集落から子供たちが「塾」に集まり学んだのだそう。




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そうして頬っぺたの赤い子供たちは学校で学び




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高らかに歌い




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運動場で思い切り走り、

お腹いっぱいの給食を食べられるようになった。





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84年間の歴史を閉じたその学校。

今でもこの地から子ども達の幸せを祈っている。




ありがとう。

真澄の空の学校。





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03 08 ,2018 Edit


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