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03

廃れゆく部屋

皆さん、廃でお会いしましょう


In 03 2020

Category: 廃れゆく施設   Tags: ---

伝説の糸崎病院(番外編)




注意※「探索遍」「資料編」を読んだ後で番外編を読むことをお勧めします。

「探索遍」


「資料編」





さて、番外編は蛇足になるのが鉄則なのでこの記事もそうなると思う。

でも糸崎病院の記録として残しておきたい。



専門家により糸崎の地が、気候・水質・景観のいずれにも療養に最適だということが認められ糸崎療病院が建てられた。

しかし明治から昭和初期まで結核患者の数は高い推移を保っていた。

そこで日本赤十字社は糸崎に別の療養所を開設した。


itosaki54.jpg


昭和22年2月20日 日赤糸崎療養院木原診療所 開設とある。

木原というのは糸崎病院が建てられた六本松から2.4キロほど東に行った小さな町で、ここからも六本松と同じく

綺麗な海が見える。

しかしこの診療所の場所についてはまだ調べていないので分からないが、また今度調べてみる(ゴメン)。


さらに三原市大観という本には、「昭和21年11月11日 糸崎町の中心地に付属診療所を開設し、患者の利便を図っている」と

書いてあった。




itosaki52.jpg


これは当時の住宅地図で街中に日赤病院があったことが分かる。

しかしこの病院は結核専門ではなく一般の患者も診ていたようだ。

街中にあることからも療養所というよりも通院が主体だったのかもしれない。



itosaki51.jpg




当時の写真があった。

「糸崎赤十字病院診療所」とあり、看板には内科・呼吸器科・レントゲン科などの字が見える。

この病院は正確にいつ頃解体されたのかは分からない。



itosaki53.jpg



しかし同じ場所に現在建っているこの医院の先生(すでに他界されています)は、

当時糸崎療病院の最期の院長だった。

昭和39年に糸崎療病院が閉院した後でこの場所で開業された。

現在は閉院されているが子孫である所有者様がすぐお隣に住まわれていて少しお話を聞くことが出来た。

その方が仰るには「当時、この医院を建築する際に基礎工事をしていたら土中から大量のガラス製注射器が出てきた。

ここが日赤病院跡で間違いない」とのことだった。

なぜ土中から出てきたのかはわからなかったが、ここに確かに付属の診療所があった。


現在いずれの診療所・病院も解体されている訳だが、だからこそ当時を知る人の声というのが大変貴重に思う。

ウィキによると

「(日本で)1934年(昭和9年)に結核で死亡した者は13万1525人であり、患者数は131万5250人となっている。

これは全人口の2%、当時の10世帯あたり1人の割合で患者がいる計算であった。」

とある。驚くべき数字だ。

当時それだけ療養所が必要とされていたということが分かる。

治療を受ける事も出来ずに亡くなられた方々も多くいたことも無視できない。


現在でも結核患者は存在していて平成30年の日本における結核患者の死亡者数は2,204人で少なくない。

これは先進国の中でもHIV感染者が増え続けている日本で、結核菌に対する免疫不全で死亡に至るケースがあるようだ。



現在新型のコロナウィルスの急激な流行が懸念されている。



人類と病原菌との戦いは決して終わりなく、歩みを止める事も出来ないのだとぼんやり考えた。



伝説の糸崎病院番外編はこれにて完結します。



※糸崎療病院に関してはこれからも情報収集を続け、さらに新しい情報を見つけ次第追記していきます。








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03 01 ,2020 Edit


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