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廃れゆく部屋

皆さん、廃でお会いしましょう


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亀ヶ首旧海軍工廠大砲試射場跡 ~本試射場編~


この記事は前編・後編にわかれています。
もし前編の北試射場編をまだ観ていない方はまずそちらをご覧ください。





北試射場を探索しただけで体力の70%を使ってしまった僕とかげとらさんは本試射場に向かった。

こちらは一つの難所を除けば楽に行ける。

海岸にただ一軒だけある民家のおじさんに軽く挨拶をしてトンネルへと向かう。




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本試射場へ向かうために必ず通らないといけないこのトンネルは時期にもよるが水がたまっていることが多い。




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今回も案の定、水がたっぷりあったのだけど長靴を履いて行ったので大丈夫だった。



honshi3.jpg

トンネルを抜けて右手に水槽があった。

何のための水槽なのかはっきりとは判らなかった。





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この辺はとても良い漁場だったらしいが大砲の試射が行われるたびに軍から漁の禁止を命じられており一か月の内、なんと20日が漁禁止だったこともあるそうだ。

そのため当時の愛媛県水産組合理事や広島県の漁業組合長などが度々軍に陳情している。

しかしほとんど聞き入れてもらえなかったみたいだ。



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明治から昭和にかけ、実験のさなかに多くの犠牲者も出た。

この卒塔婆?も当時の犠牲者の供養のために建てられたものだろう。

実験中に亡くなったのは軍人だけではなかった。

砲弾を拾ってしまった漁民もその犠牲となった。




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この建物は烹炊所(ほうすいじょ)で当時約40名近くいた工員の食事を作っていた建物。

おそらくは食堂としても利用されていた。


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ネットで公開されている資料を見るとこの烹炊所の北に今は残骸しか残っていないが横長の宿舎があった。

その宿舎のさらに北側、海岸ちかくに食堂があったのだが事務所宿舎だったという説もある。(この食堂は現在跡かたもない)。




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中は結構広くて窓も大きい。

どんな料理を作っていたのだろう。



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ここは廃墟だけどハチの巣は現役みたいだった。




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戦時中の兵隊用の食事事情を少し調べると日露戦争時はビタミンB1の欠乏から発症する「脚気」を恐れ麦が主食だったらしい。
また食中毒を避けるために必ず煮炊きしたものを口にしたらしい。

ここは眼前が海なので時間があれば釣りもしただろうしひょっとしたら刺身を食べたかもしれない。




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印刷ではなく手書きの飛行機が描かれたお椀。

おそらく戦時中のものだが飛行機の型がやや新しいような・・・・




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煉瓦建築好きな僕がキュン死しそうになった建物が見えてきた。



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二棟並んで建っているのだけど山側(南側)のほうが測定室、海側(北側)のほうが高官用の事務室だった。

この測定室・事務室の真向かいには発電所が存在したのだけど現在はすでに跡かたもなくなっている。



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このまるで保存も維持もされていない、放置された感じがたまらなくいい。

山道の険しい北試射場はともかくここはアクセスが楽ちんなのでまた来たいと思った。




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この戦跡は明治、大正、昭和と約50年間も使用され、その時代によって建物も変わりまた増えていったのだろう。

先ほどの烹炊所とこの測定室・事務室が同じ時代に建てられたようには感じなかった。



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この建物はやたらと素敵でかなりの枚数を撮ってしまった。

その割にはあまり上手に撮れていないので、ぜひ自分の目で見てほしいと思う。





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この測定室の大きさはとにかく圧巻。

終戦後、占領軍が亀ヶ首に来てこれを見た時に「うおっ!なんじゃこりゃあ!」と叫んだかどうかわからんけどきっと一人くらいは叫んだと思う。



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観測室は二重構造になっているが半世紀以上経った今でさえ堅牢そのもの。

僕はこういうのを見ると興奮する性質なので内側の壁と外の壁の間をぐるぐる回って隅々まで見た。

いやー、えがったえがった。


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この煉瓦造りの部屋はすでに土砂でかなり埋もれているのだけどもともとは土堤内測定室だったらしい(違ったらごめん)。

三つが繋がっており「三窟」と書かれていた資料もあった。



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本試射場にはこのような穴が数多くあり、資料片手に歩かないとどれが何の役割だったのか全く判らない。



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土堤には計3つのトロッコ用のトンネルがあり機材や砲弾をそれに乗せて運んだみたいだ。

トロッコのレールは金属ドロに盗まれたようだ。

近くには黒色火薬庫や炸薬火薬庫なども存在している。

そしてこの試射場ではあの悪名高き「毒ガス弾」の実験も行われていた。

毒ガスの種類は「イペリット」で大久野島でも製造されていたものだがそれが亀ヶ首で使われたかどうかは判らない。

かの戦艦「大和」の主砲の発射実験を行ったことで有名なこの戦跡だが、秘密裏に「毒ガス弾」の発射実験も行っていたことはあまり知られていない。




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前述したが戦後、占領軍(米海軍訪日技術使節団)がここに訪れ「軍国主義排除プログラム」の一環で数々の建物や砲身は破壊された。

しかし理由は不明だが少なくない爆弾が米軍によって近くの海洋に投棄されたという資料があった。





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やや暗い話になったが・・・これは便所跡。写真で見るとわけが判らないけど実物を見ると間違いなく便所だった。

本当に便所かどうか、どうしても確かめたい人はぜひ現地へ。




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この巨大な水槽は「地下弾丸破裂試験槽」で通称「ピット」と呼ばれるもの。

幅約20m、長さ約30m、深さ約5m。

この中で爆弾を実際に破裂させてその性能を実験したみたいだ。

ちなみにこの槽の南側の海には当時「標的柱(現在は跡がない)」があって大砲はそれに向けて試験発射した。



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試験発射の標的についてはその目的により様々だったみたいだが、ある資料で興味深いものを見つけた。

明治36年に日本海軍がアルゼンチン海軍から買い取った戦艦「日進(アルゼンチン名モレノ)」は日露戦争では大活躍した戦艦だった。

当時3つの村が合併した愛知県のとある地域では日進の活躍にあやかって三村合併後に日進村(現:愛知県日進市)としている。

しかし老朽化のためか昭和10年4月1日には除籍となりその半年後の10月9日に亀ヶ首試射場で46㎝砲弾の実験のための標的となり、一発が艦底に命中し転覆後沈没した。

その3日後には引き揚げられて解体されるというなんとも悲しい終わりかたをしていた。

ちょっと興味をひいたので書いてみたが蛇足だった(それでも書くんだよな僕は)。



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今回この亀ヶ首のレポを書くにあたり多くのネット資料を参考にさせていただいた。

調べると調べるほどに興味が湧いたのは事実だが同時に暗い気持ちになったのも否めなかった。




記事をアップするにあたり自然に埋もれながらも亀ヶ首に残る、数多くの戦跡の写真を眺めていた。

すると、それらはまるで僕たちが決してあの過去を繰り返すことなく未来へと進むための道標として存在しているような気がしてならなかった。









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10 20 ,2013 Edit


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Comments

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Re: タイトルなし
kagetoraさん>僕らの歳ではなるべく早く行ったほうがよさそうですね(^-^)
山頂付近の射座の戦跡については調べていて初めて知ったのですがかなりそそられました。
またぜひ行きましょう!
あの煉瓦造の遺構はいつまでも眺めていたいレベルでしたね(*゚ー゚)
まだ周辺の砲台跡もありますし、あの辺りには行く事になるでしょう

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