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廃れゆく部屋

皆さん、廃でお会いしましょう


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三高山砲台跡

前回の岸根鼻砲台を訪問した後、僕とかげとらさんが向かったのは三高山砲台跡だ。

この界隈には本当に砲台跡が多く、車で少し走れば次の砲台跡に着くことができる。



DSC07420.jpg


三高山砲台も岸根鼻と同じく公園整備されたのだけど、こっちは現在もちゃんと管理されている。

名称も「創造の森 森林公園」となっており、名前を聞いただけでは戦跡とは判らない。




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とりあえず南部砲台跡に向かうと最初に見えてきたのが便所だった。

階段の左手前にある四角いのは手を洗うための鉢?だろうか。

それから奥の向かって左が小便用、右が大便用なのだと思う。

きっと当時は上に建屋があったのだろう。





DSC07426.jpg


どうやら僕らが訪問した少し前に草刈りをされたみたいだ。

とてもサッパリしていたがおかげで歩きやすかった。



DSC07427.jpg

右手にお馴染みの形をした掩蔽壕。

この角度からでは見えないけど掩蔽壕のすぐ前には防火水槽らしきものがある。

ここは弾薬庫としても使われていたのかもしれない。



DSC07433.jpg

中に入ると掩蔽壕の上にある観測所と連絡をとるための伝声管があった。



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この三高山砲台が完成したのは明治34年くらい。

しかし実戦を経験することもなく大正8年に廃止された。




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見事に草が刈ってある。他のサイトで見たのとは大違いだ。

たまにはこうやって管理されている物件を歩いてみるのも楽しい。

安心感からかとてもほのぼのとした探索ができる。

さて、砲台跡に進むにつれて左手に見えてきたのは「砲側砲弾庫」。




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このなんの飾り気も無いシンプルなデザインが素敵。

推測だけど蝶番の跡があるので当時は鉄製か木製の扉が付いていたのだと思う。




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中もこれまたシンプル。

内側に漆喰が塗られているのは湿度調整なのだとか。

当時はまだRCの建築技術が普及していない頃でほとんどが煉瓦や石積みだったらしい。

そんな時代でも職人たちはあれやこれやと悪戦苦闘しながらここを築いたにちがいない。




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この南部砲台には90mm可農砲が4門、90mm臼砲4門が備えてあった。

それはそうとしてあの石積みで出来た低い壁(胸墻といいます)に四角い凹みがいくつか見える。

砲台には必ずと言っていいほどよく見かけるのだけど、あの凹みの役割と名称がずっと判らずにいた。


あれは「砲座内弾室(即用砲弾置場)」というものだそうで砲撃の際にわざわざ弾薬庫まで行かなくても近くに何発か置いておくためのスペースなのだとか。

砲台というのはかなり特殊な場所だけに隅から隅までわかんないことだらけだ。

だけど家に帰ってネットで調べてみると「ああ、なるほど」と思うことがあって夢中にさせてくれる。

さて、南部砲台をあらかた見終わった僕らは北部砲台に進む。




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北部砲台の入り口付近だったと思うが記念スタンプが設置してあったので持参した地図に押した。

毎晩ゲームばかりやっているおかげで今でも少年の心を持っている僕にとって、こういう記念スタンプとかは結構嬉しかったりする(∩´∀`)∩ワーイ




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ここは高台なので海もかなり見渡せる。

公園として整備されたのもうなずける景色だ。



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北部砲台の入り口付近にもやはりこれはあった。

そう、便所だ。

しかし100年以上も前の時代だ、衛生面の事情は深刻だったのだろう。

赤痢にでもなったりしたら砲撃どころではないもんね。




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奥に進むと「地下兵舎」なるものがみえてきた。



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地下兵舎の前に煉瓦造りの塀があるのだけど基礎が脆くなったのか30度くらい傾いている。

行政はこれが倒れるまで放っておいてもしこれが倒れたらきっと新品の金網のフェンスを設置するんだろうな。



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それはそれとして地下兵舎に入ってみる。

全部で3つの入り口があるが向かって一番右は浄化槽だった。



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二つの兵舎は中で繋がっていた。

この兵舎から観測所や砲台は階段を登ればすぐだ。



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この先にはさらにもう一つ兵舎がある。



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兵舎の近くには炊事場が。ここも昔は建屋があったのだろうと思う。





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兵舎に入ってみる。

かなりの広さで奥行きもある。

屋根などはもちろん最近になってから据えられたものだろう。

個人的にはこの屋根はいらんけどね(エラソー)。



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当時は壁で仕切られていたのだろうか、等間隔で5つ囲炉裏の跡のようなものがある。

ここには広島県でも様々な地域から徴用された人もいただろう。高台の兵舎から遠い故郷を想うこともあったかもしれない。




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さて、いよいよ北部砲台へと続く階段を上る。

この階段でちょっと気になることが。



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この白色チョークで書かれた印だ。

まず間違いなくこの階段には新しい手摺が設置される。

この印はまさに手摺の間隔で書かれてあった。

おそらくこの記事をアップしている頃にはとっくに完成していると思う。

ま、安全第一ということか。



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階段を上って右翼観測所に向かう。

この砲台には海に向かって右と左に観測所が一つずつあるので右翼観測所と呼ぶが他意は無い。




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観測所は今まで見たものと大差ない。

昔は屋根があったらしい。ここからの見晴らしも良かった。



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北部砲台には280mm榴弾砲2門が3カ所、計6門あった。

胸墻の上部は土で覆われ草木が生えている。

これはカムフラージュのためであったり敵弾除けともいわれているそう。



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現地には参考資料としてこのような看板が。

この三高山砲台の写真ではないのだけど貴重な資料だ。

っていうか砲撃するのにこんなに沢山の兵隊や技師が必要だったんスね。




北部と南部を一応制覇した僕らは次なる物件に向かうため車に乗り込んだ。

草を刈り、手摺をつけてまで頑張っていた三高山砲台跡だけどその日の探索中に来ていたのは僕らの他に散歩に来ていた男性一人だけだった。

でも戦跡はそれくらいの人気がちょうどいい。

次は最後に訪問した早瀬第一&ニ堡塁を公開予定ッス。

いつの公開になるかはわからんけど。




かげとらさんの廃サイドでも公開中です。
三高山堡塁砲台(南部砲台)




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08 12 ,2014 Edit


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