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廃れゆく部屋

皆さん、廃でお会いしましょう


Category: 廃れゆく施設   Tags: ---

玉の字医院





もう去年の10月ごろの話、


すでに有名になってから久しいこの医院にやっとのことで足を踏み入れることが出来た。


ツイッターでお師匠が撮られたこの医院の画像を拝見した時、なんと素晴らしい医院だろうかと思った。




tamanoji1.jpg



門から玄関までのアプローチには草木が茂り、ヌスビトハギが靴やズボンにやたらとくっついて困った。

ほら、あの平たくて半円状のよく衣服にくっついて離れないやつ。

廃墟探索家たちを悩ませるあの嫌なやつ。




tamanoji2.jpg


玄関は70~80年代に一度リフォームされているらしい。

それではお邪魔します。





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この医院は長い廊下が玉の字型に伸びていて、その廊下沿いに入院部屋が備えてあるようだ。

朽ち具合や光の入り方がとても僕好みで探索が楽しかった。



tamanoji4.jpg


廊下の突き当りに何故か薬棚が置いてある。

前列の薬瓶たちは撮影の為に誰かが並べたようにも見える。




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引き戸のすき間から入り込んだ大量の落ち葉、

積もり積もった土壁の埃が立派な廃風情を醸し出している。




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「五号室」ではなくて「五號室」と旧漢字で書かれていると嬉しい。

「医院」ではなくて「醫院」と書ていると嬉しいのと同じだ。

自分が存在していなかった時代を、少しだけ生きた気がしたりなんかして。




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玉の字に設計された建物の内部には交差点がある。

こういう建物ってぶち好きじゃわ。

床や屋根、壁に至るまで探索できるギリギリに近い朽ち具合。



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入院部屋は畳敷きのとても簡素なもの。

現役時にはベッドがあったと思うのだけど、閉院後に永らく倉庫として使われてたようだ。




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ここは最初からこのような「玉の字型」に建てられたのか、それとも増築改築を経てこうなったのか。

そのことをご近所に訊くのを忘れて判っていない。




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戦前に開業されたとのことだが、その当時の建物なのかどうか。

専門的な知識がないので断言できないけど、この建物が例えば大正時代に建てられそのあと昭和中期にリフォームされたと

聞いても僕は驚かない。




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きっとそうなのだろうと思う。

しかし当時これだけの規模の個人医院はそう多くなかったはず。

のべつ満床という訳ではなかったと思うが、この医院の先生はすこぶる名医と評判だったそうだ。





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有名な部屋に来た。

この右手の壁に出所もわからない悲痛な文言が記してある。








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非常に達筆だということは判るのだけど学のない僕にはまったく読めまへん。


この文言の訳について廃墟ルネッサンスの45山さんのブログ45山さんの終末観光玉の字医院 再訪で紹介されているので是非読んでみて欲しい
(ちなみにこのブログ、沢山の廃墟を扱っていて読み応えあります!)。

横に書いている「病軀呻吟横臥二年有半」というのは、

「病におかされた身体を横たえて二年半以上呻き苦しんでいる」ということなのだろうか。




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病というのは健康な時には全く意識の外にあって考えもせずに過ごし、一旦病におかされると

その重大さによっては本人だけでなく家族親友に対しても大事件となる。





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二年前、会社の健康診断の胃検診で「要再検査」との結果が返ってきた。

用紙には「胃上部に異常な影が認められる」との所見が書いてあった。

胃カメラを飲んで(辛かった・・涙)腫瘍を取り除き、その腫瘍の細胞がどういったものか、

検査結果が出るまで二週間待った。

結果が出て病院で先生に「良性です、問題ないです」と言われるまでの間、もしもの場合治療をどうするか、

残された家族はどうなるのか不安でしょうがなかったが、あの時ほど健康のありがたみを感じたことは無い。




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話を本筋に戻すがこの医院の診察室だ。

残留物を見てわかる通りそのままになっている。

これはこの医院が移設されたのではなく、ある日突然閉院されたということだろう。





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古い医院によくある院内薬局。






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ところでこの医院の先生について、ご近所の60代男性の方から面白い話を聞くことが出来た。


今から40年以上前その男性が突然の腹痛に襲われてこの医院に駆け込んだ。






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先生は「虫垂炎(盲腸)」だと診断しすぐに手術室に。


無事に手術が終わるとその先生は「手術は終わった。帰れ」と言ったという。





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その男性は「せめて一日でも入院させてほしい」と言うと、

先生は「盲腸は病のうちに入らん。男だったら情けない事を言うな!歩いて帰れ!」と一蹴。





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手術の痕を押さえながら歩いてなんとか自宅に帰り、あとは何事も無くぐっすり眠ったとの事。

なんと豪放な先生だろう。

嘘のような本当の話だ。






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長崎の医大を出られたこの先生の名医ぶりはことのほか有名で、


県外からも入院治療のため患者がおしかける程だったそう。



その男性の方が「あの先生には長い間とてもお世話になった」と何度も言っていたのが印象に残っている。





明治31年に公立学校に校医を置く「学校医令(公立学校ニ学校医ヲ置クノ件)」が定められた。


この先生も長い間、ある小学校の校医として児童の衛生指導、健康診断などに携わり、


地域の方々に愛された先生だったそうだ。







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この玉の字医院がなぜ「玉の字」に建てられたのか、ずっと考えながら医院の廊下を歩いていた。

どこからでも中庭が見える廊下でふとある考えが浮かんできた。



江戸時代にお城や武家屋敷などの入用に合わせるため、その界隈に沢山の商家が建ち並んだ。

商家はそのほとんどが町家造りで必ずと言っていい程、建物に坪庭(中庭)を設置した。

商家の建ち並ぶエリアは今で言うとビジネス街。

町家の風情というだけではなく、ストレスのたまる気忙しい商人としての毎日を

緑色の坪庭に癒してもらうという意味もあったのではないか。


それならば、たたでさえ閉鎖された医院という空間で

病や怪我と闘う人々の治療の一助となればという想いがこの医院の建築に際し込められたのではないかと。


「青葉は目の薬」ということわざもある。


勝手な推測をしてしまったのだけど、


しかし崩壊間近といえど、名医が存在していたこの医院に来れて幸せだった。



もう一度中庭をゆっくり眺めてから、僕は玉の字医院をあとにした。







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02 03 ,2019 Edit


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Comments

Re: タイトルなし
>とし坊さん
昭和の建物だったのですね!これは貴重な情報ありがとうございました。
いつか玉の字に建てられた謎を解明したいものです。
お疲れ様です❗
手持ちの資料に長崎大の先生の先代が神戸市に開業、昭和19年か20年に戦災移転で現地に開業と書いてあった記憶があります。

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