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廃れゆく部屋

皆さん、廃でお会いしましょう


"廃れゆく戦跡" posts

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早瀬第一・第二堡塁砲台跡



さて、ちょっと記事に間が開いてしまったが「がんね鼻砲台跡」「三高山砲台跡」を探索した後に僕らが向かったのは
早瀬第一、第二砲台跡だ。



houdai1.jpg

この道の先には廃れた砲台跡以外に特に何もないせいか、道路がこんなことになっていても放置されている。

これはイカンね。

これはイカンけど僕らおじさんたちは、「探険に来たんだ」という感じが高まるのであった。




houdai2.jpg

しかし、まずは腹ごしらえということで遅い昼飯に。

冬はやはりカップ麺に限る。以前も書いたけど僕はカレーヌードル派です。

あ、ちなみにこの戦跡に行ったのは2014年の2月のことです。




houdai3.jpg

腹ごなしが終わり、ネットで調べておいた軍道を歩く。

当時は綺麗な道が砲台まで続いていたのだろう。




houdai4.jpg

石で出来た門柱が見えた。

無論もともとは二つの門柱が立っていた。

ひょっとしたら当時は詰め所があって門番がいたのかもしれない。




houdai5.jpg

門柱から先に進むと石造りの建物が二つ見えてきた。ただし屋根は抜けている。

あるサイトによるとこの建物は監守衛舎や兵舎らしい。



houdai5no2.jpg

この早瀬第一堡塁砲台跡は明治32年10月に起工、翌年8月に竣工した。

綺麗に積まれた石材を見ていると、とても10ヶ月で出来たとは思えない。



houdai6.jpg

ちなみにこの兵舎の造りも三高山砲台跡にあった兵舎とよく似ている。




houdai7.jpg

便所の造りも画一化されていてるようだ。


どこの戦跡に行っても便所はみなこの形だった。



houdai8.jpg

兵舎の奥には自動車の残骸が。

今ではまったく信じられないが、当時はここまで自動車が上がってこれたんだ。



houdai9.jpg

この自動車の正体は「日野ルノー4CV」というらしい。

かげとらさんのサイト廃サイドでこの車のことが詳しく書いてあるので是非行ってみてちょ。



houdai10.jpg

ここに何故か小さな一軒家がある。

昔この戦跡の敷地内に住んでいる人がいて、戦跡の調査に来た人に向かって何かを叫びながら刃物のようなものを持って飛び出してきたのだとか。

この家の主がその変人かどうかは不明だが流石にもういないようだ。

ひょっとしたら指名手配犯だったりして・・・ハハハ。



houdai11.jpg



竹林を進むと砲側庫があった。砲座はどうなっているのだろうか。


houdai13.jpg

砲座の中には立派な樹木が生えていた。

実はこの第一砲台には28cm榴弾砲6門の備砲が予定されていたが何故か結局実施されなかったらしい。



houdai14.jpg

水はけが悪いのか水溜りが出来ている。

この先を行けば第二堡塁砲台跡だが、その前に観測所に行くことに。



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しばらく登山をすると見えてくる観測所。

林の中でこういうのを発見すると、そこにあると分かっていても「おおっ」となる。




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階段の上が観測所で下は掩蔽庫らしい。掩蔽庫をどのように使っていたのかは昔の人じゃないとわかんね。

推測はできるけど、本当の事は誰にもわかんね。



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観測所は概ね他のやつと同じ。

火薬庫も兵舎も便所も観測所もこの時代のものはみんな大体同じ形をしている。

予算的な問題、工期の問題、機能や耐久性の問題を考えての最適解なのだろう。




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この観測所の横には退避壕?のようなものがあった。

ただし内部がゴミだらけだった。

ところであの内部の左右にある凹みは何だろうか?

僕は個人的に「双眼鏡を置くとこ」だと信じているが本当のところはわかんね(´・ω・)



houdai19.jpg

おや、これは何だろうか。陶器製で碍子の一部のようにも見える。

ローマ字で「TOGAMI」と読める。

大正14年に創業した「(株)戸上電機」が作った碍子らしい。

しかし広島湾要塞は大正15年に廃止されている。

とするとこの碍子は廃止一年前にここで使用されたものか、若しくは廃止後に持ち込まれたものということになる。

というかあまり深く考える問題でもないことに気付いたので次に進む。



houdai19no2.jpg

先ほどの観測所の周りはこのような塹壕がぐるっと囲んでいる。

恐らく敵兵が上陸し攻めてきた時にこの塹壕を盾にして銃などで迎え撃つ計画だったのだろう。

ちなみにこの後行く第二堡塁砲台はそもそも上陸した敵兵の掃討を目的として造られたんだそうな。

ちなみに写真に写っているのは同行してくださったかげとらさんだ。




houdai21.jpg


観測所をあとにして向かうは第二砲台跡。

途中で道に迷ったのかと思うほど離れた場所にあった。

しかしこの門柱の頭?らしき石材を発見して安堵した。




houdai22.jpg

掩蔽壕が見えてきた。少し珍しいL型に建設されている。

あまり前情報を持たずに訪問したのでこれを見たときは胸が高鳴った。

このような立派な砲台跡が放置だということが嬉しいが不思議でもある。



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ただでさえ薄暗いこの場所で掩蔽壕の中はまったく光の届かないエリア。

こういう時は行っとく。二度と来れないかもしれないので後悔しないように行っとく。




houdai24.jpg

中は隣の部屋とトンネルでつながっていた。

俺はヘタレだから一人だったらビビってただろうな。



houdai25.jpg


外に出ると近くに井戸があった。井戸の中もまた光が届かないエリア。

行っとかない。こういう時は行っとかない。後悔してもいい、だって危ないから。



houdai26.jpg

砲座跡は何がなんやらワカランことになっている。

あとから資料見てここが砲座跡だと知った。




houdai27.jpg

砲座の隣には砲側庫があった。

ちなみにこの第二砲台には9cmカノン砲6門が据えられていた。

明治35年4月のことだ。




これで早瀬第一・第二堡塁砲台跡はあらかた見たようだ。

100年以上経った今もその姿を残していることが素晴らしい。

僕が生まれる前からそこにあってきっと死んだ後もそこにあるのだろう。

いつも廃墟ばかり行く僕だけど時々こういう戦争遺跡に行きたくなる。

今度の冬ももちろん行くもんね。

もし戦争遺跡の近くでカレーヌードル食べているおっさんを見かけたら石を投げずに声をかけてください。



早瀬砲台跡でした。







かげとらさんのサイト廃サイドで広島湾要塞早瀬第一堡塁砲台広島湾要塞早瀬第二堡塁砲台をどうぞ!





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10 20 ,2014 Edit


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